もう一度行きたい場所

お題「もう一度行きたい場所」

 

最近読んだ江國香織さんのエッセイに、「書くのは、どうしてもそこに行きたいから」という主旨のことが書いてあった。

 

「そこに行きたい」

 

私の中で、ピンと来るものがあった。

書く前は、「そこ」はぼやっとしている。でも、行けば何かはっきりしたものが見えるかもしれない。その「期待」を胸に書くのだろうと思った。

 

例えると、旅のようなもの?

 

私は旅が苦手だ。行く手間を上回るほどの喜びを見出せない。

今だって、「書くこと=行きたい場所」だったから書き始めたけれど、結局何も感動=発見したものがなかった。これはとても寂しいことだ。

 

小さなことに感動できる体質。そういうものに、私はなりたい。

日記帳

お題「手帳」

 

小学校一年生の春、日記帳を買ってもらった。

A6だかB6だか、それくらいの大きさのもので、ハードカバーで、色は水色で、白い小花と金色の髪の女の子の絵が描いてあるものだった。

とても気に入っていた。大きさも、色も、絵も、ハードカバーのところも。「完ペキ」だった。

 

私はその日記帳に、密かな恋の妄想を書いていた。近所の年上の男の子との。

例えば、「今日は〇〇君とデート。待ち合わせ場所は、公園のベンチ。その後マクドナルドでハンバーガーを食べて、その後手をつないて歩いた。最後は公園に戻って、ベンチでおしゃべりして、キスをして別れた。」みたいな内容。もちろん、「待ち合わせ」も「公園」も「別れた」もひらがなだったし、文章ももっと稚拙だったと思うけれど、だいたいこんな内容。

 

幼いころの私は、とてもませていた。ませていた、というと良い意味を含んでしまうかもしれないけれど、「歪んだ、大人への憧れ」を持っていた。だって、「手をつなぐ」とか「キス」とか、世の小学一年生は書くだろうか。

だけど一方で、自分では、こんなことに憧れて悶える自分を恥ずかしいとも感じていた。誰にも知られてはいけないと。

 

だからこの日記帳を肌身離さず持ち歩いていた。学校にも持って行っていた。家に置いておくと、私がいない隙に父か母が見ているかもしれないと考えたから。

 

そんな風に「秘密」を抱えてしまった小さな私は、そのことに次第に耐えられなくなってきた。妄想を書くことは、蜂蜜のように甘くて美しいものだったのに、その甘美なものを手にしていることの罪悪感。

そんな罪悪感、持たなくてもよかったのに。

 

以上が私の「手帳」の思い出です。

 

 

 

 

山派かな

お題「海派? 山派?」

 

山の魅力は、承認欲求を満たしてくれるところだと思っている。

ひたすら足を動かして、頂上にたどり着いたときの。

 

私は、登山は単純作業だと思う。こういう言い方をすると、山登りはもっと「奥が深いんだ」って反論されそうだけれど、今の私はそう感じている。

複雑なことは考えず、ただひたすら右足と左足を交互に前に動かし、設定されたゴールを目指す。

 

こう書くと、普段どれだけ複雑なことを成し遂げようとしながらも成し遂げられていないんだ、ということになるのだが、本当に、私はいつもフラストレーションを抱えている。

 

そこに来て山登りは、単純な動作を繰り返すだけで認めてくれる。

 

 

やにわに

お題「最近知った言葉」

 

やにわに

「矢庭に」と書くそうです。

 

「矢庭」とは、矢を射る場所のこと。助詞の「に」をつけて、「その場で」

とか「その場を去らずに」とかという意味で使われるようになったそうです。

 

「矢庭に暴漢をやっつける」、「矢庭に走りだす」などと使うわけですね。

上記は、コトバンクさんに教えてもらいました。

 

この言葉を知った今、私だったら、「矢庭に難問を解決した」と使いたい。いつか使ってみたい!

 

いつも明るく笑っていたいのに、そうはいかない。新しく来た課長が、いつもヒソヒソ話してる。そんなに聞かれたくない話なら、聞いても良い人を周りに配置すればいいのに。それとも、私のこと噂してるの?だったらイヤラシイ。言いたいことがあるなら直接言ってくださいよ!もーイライラするわー!みたいな時に、「課長、眉毛一本だけ長いですよ。ニコ」とか言って、華麗に「私、矢庭に積年のこの難問を解決したわ!」って心の中で叫んでみたい。

 

ちょっと違うかな。笑

 

恋バナ

 

お題「恋バナ」

 

最後にしたのはいつだっただろう。

大学生か?

そうだ。その時はもう、あまりハナは咲かなくなっていた。

 

一番大きく咲いたのは、中学の時だ。

好きな先輩、好きなアイドル。

 

恋のハナが咲くのは、その種が「夢」である時だと思う。

手の届かない相手、憧れの相手、そしてそれでもOKと、半分くらい思っている相手。

 

成長すると、「現実」になってくるのが恋というもの。

だから愛になる。

 

愛を語り合える仲間が、私は欲しい。

 

(恋とか愛とかを語ると、ポエムチックになってしまって、少し恥ずかしい。笑)

 

さっそく

お題「コーヒー」

 

私は、朝一でコーヒーを飲みます。

冬でもアイスコーヒーです。

グラスも決まっていて、量も決まってる。

 

それが「ルーティーン」で、それをしないと一日落ち着かない。

 

でも、コーヒーが特別「好き」というわけではないのが、自分でも不思議に思うところです。

苦いし。

飲んだ直後に誰かに接近したら、言わなくても「今コーヒー飲みました」って伝わってしまうし。

よくコーヒーの香りが好き、という人がいるけれど、私はそういうわけでもない。

 

本当に、「ルーティーン」なのです。

決まり切った手続き、仕事、 日課

 

良い状態への架け橋になる動作。それも無意識に。

 

「朝コーヒー派」の人は結構多いと思うので、このルーティーン説には共感してもらえるかな、と思い書いてみました。

 

 

 

 

ブログを始めるにあたって

「伝えたいことを、受け取ってほしいように伝える」って、難しいことだと思います。

私は、それがとても苦手だなーと。

 

だから、その練習のために!というのが、ブログを始める一番の理由。

 

それから、

・ブログを書くことで、自分の価値観がどんな風に変わるのか観察したい

・今の「苦手意識」の根本にあるものを、自分なりに腑に落としたい

というのも副産物的な理由としてある。

 

「伝える練習」が主目的だから、ドキドキするけど公開しよう!

 

SNSを通した交流って、どんな感じなのだろう。

きっと傷つくこともあるのだろうけれど、SNSだからこその対処法

もある。

私は私なりの誠実さで向き合おう。

 

以上、初心の表明をご挨拶に代えさせていただければ幸いです。